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2006年12月31日 (01:27)

井上陽水・もどり道CD盤

保育園からの幼馴染が湘南に住んでいます。
その彼が帰省してきました。

彼とは、小学中学と、いつもいっしょで音楽談義に花を咲かせていました。
小6のころ、どこぞの大学の軽音楽部のコンサートが倉敷市民会館であったのを二人して見に行きました。
そのとき、ステージで歌う大学生のギターがスポットをあびて、きらっと光るのがとてもかっこよく、

うぉーーすげーーすげーー

と、二人して「ギターやるっきゃない!!」と心に決めたのが、きっかけ。
そこから、ギター&フォーク路線にはいっていきました。

そのとき大学生が歌ったんが、井上陽水の「傘がない」
なんて、かっこいい歌なんだ~~~と、早速LP買いました。
「井上陽水・もどり道ライブ」
・・・もーー擦り切れるくらい聞きましたね。
このアルバムはほんとアコースティックの音を気持ちいいくらい拾い上げてるから、
ギターの音色がとってもいいの、、、
もう、スコ~~ンって吹っ飛びましたね。

で、その後は、日本のフォーク(もう、全部)、
外国のフォーク(PPM,S&G、ボブディラン、カ^ペンターズ)よく聞いて、耳コピしたりしていました。

で、話はいまにもどるんだけど、
その彼とは、昨年の小学校同窓会で久しぶりに会って、
いまだにお互いギターしてると知って、
「じゃー久しぶりにやるか」ってことで、その後、盆暮れの帰省時には、うちに来てセッションやっています。

で、このたび「やまさん、これ買った。あげる~~」って、くれたのが例の井上陽水・もどり道ライブのCD盤


デジタル処理したもので音がすっごくいいとのことで、早速視聴!

うん!いい!とってもいい~~~!!

久しぶりに聞く陽水の声に遠い昔を呼び起こされました。
(いま、この紙ジャケシリーズ結構出ててうれしいぞ!拓郎、古井戸、泉谷なんかあって、つい買ってしましました。)

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2006年12月29日 (01:11)

四季の心

四季の心

・人に接するには春のように暖かい心で

・仕事をするには夏ように燃える心で

・物思うときは秋のように澄んだ心で

・己を責めるときは冬のように厳しい心で

2006年12月27日 (23:24)

今年度最後の委員会

倉敷歯科医師会館で、県歯100周年記念事業委員会でした。
これで、今年の委員会はおわり!・・・の予定。
いそがしかったな~~。

2006年12月27日 (02:13)

『21世紀に生きる君たちへ』

『21世紀に生きる君たちへ』

 私は歴史小説を書いてきた。
 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
 歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
 私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
 歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
 だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは、・・・・もし君たちさえそう望むなら・・・・おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
 君たちは、ちがう。
 21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

 もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。
 「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」
 そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
 もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。
 ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

 昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
 人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
 ・・・・人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

 「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
 と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
 このかんがえは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういう素直さを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
 そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

 さて、君たち自身のことである。
 君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
 ・・・・自分に厳しく、相手にはやさしく。
 という自己を。
 そして、すなおでかしこい自己を。
 21世紀においては、特にそのことが重要である。
 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は、助け合って生きているのである。
 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。 
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
 このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たようなことばである。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
 もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。
 君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
 


司馬遼太郎先生の『21世紀に生きる君たちへ』より

2006年12月21日 (00:01)

歯医者のルーツ、その2

こんにちは 岡山 歯科医院 歯医者の山下です。

 私は手先が器用な歯医者と自負していますが、そのルーツを・・・・。

プラモデル作りはお知らせしたところ。

そのほかに、、、、
①小学、中学と母親の手芸教室の手伝いをしていた。
  当時、編み物の先生やってた母親は水島に手芸ショップを開いていました。そこの商品として、、、、文化刺繍、ビーズ絵画、ペーパーフラワー、絨毯、ビーズタペストリーなどを扱っていましたが、これらをやらされていました・・・・。というか、ちゃんとお小遣いくれたから、アルバイトかな・・・・結構小学生レベルを超えて、売り物になってたみたいです・・・・。もう、時効ですから・・・

②小学校は倶楽部が図工クラブだった。
  おもちゃとか、日々使うものは自作が多かったですね。

③家庭科の成績は5でした・・・。裁縫大好きでした。
  今で言う「縫合」でしょうか・・・??(笑)

④高校時代は考古学少年で、土器・埴輪などを山から取ってきた赤土で復元していました。
   けっこう、いい感じ~~~
「踊る埴輪」「遮光器土偶」はいまでもあります。

⑤大学の実習で歯牙模型彫刻試験では、、、
 学科試験の場合、私が席をあとにするのは、私の周りにだれもいなくなってからでした・・・・(笑)
歯牙模型彫刻試験は、石膏棒から、彫刻刀で削りだして歯の形を作っていくのですが、
このときは誰よりも早く席を立っていました。勿論、最高点で。
 
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2006年12月20日 (01:21)

歯医者のルーツ??プラモデルと私

私の趣味のひとつにプラモデルがあります。
あのプラスチックのパーツを組み立てて形作っていくものです。

最初にプラモデルを作ったのは保育園のときです。
父がなにかのプレゼント(誕生日かクリスマス?)に鉄腕アトムのプラモデルを買って帰って、いっしょにつくった覚えが鮮明にあります。子どもの手にはすごく大きなものだったように記憶しています。一見何がなんだかわからないパーツからどんどん形ができて箱絵のとおりのものができる不思議さに興味をもったんだとおもいます。以後、40年間ずっとプラモデルを作っています。飛行機・車・戦車・戦艦・ロボット・F1・サンダーバード・・・・・などあらゆるジャンルつくりました。

歯医者としての腕の器用さはまちがいなくプラモデルで養ったものだとおもいますね・・・・。
プラモデルに感謝!!

小学校低学年のときは、おもにアニメ物・・ジェッター、アトム、ジャイアントロボ・・など。特にサンダーバード秘密基地はがんばって作りました。一番はまって作ってたのが小学校高学年のとき。このころは色を塗ったり、改造することを覚えました。ジャンルは戦争物。戦車・戦闘機・戦艦など・・・このころは田宮ニュースもとって研究していました。で、ジオラマという地面とか背景・人物まで再現してある場面をあらわす作品を作っていました。お題は「突撃」「作戦会議」などなど。
名前わすれたけど、すごいグループがたびたび雑誌にとりあげられて感嘆したものでした。ということで、毎日、プラモづくりしていました。

そんななか、、、、、、

小学校から帰ると、まずプラモデルの塗料を臭わないと気がすまなくなりました。塗料の蓋をあけ、においをかぐとすっきりするんです・・・・・これって??
そお、完全なシンナー中毒、、、、、、、、、、、やっべーーー
・・・・どーやって、立ち直ったかというと、、、、、母親がある日ギターを買ってくれました。当時流行ってた「白いギター」です。で、ギターのとりこになった私はだんだんプラモをお作らなくなりました。もしかしたら、それが母親の意図だったのかもしれませんね、、、、。

ということで、中学・高校は音楽にはまっていき、プラモはちょこちょこと作るくらいでした。このころは、スーパーカーブームでいたので、作品もスーパーカー!!これがいまに続きます。

第2時プラモブームは大学のとき。このときはやはり車メインでしたが、お題は「オーマイ街道レーサー」・・いわゆる族車ですね・・・・はい。基本はシャコタン・オーバーフェンダー・ワイドタイヤ。それに、つり目・竹やりマフラー・ビタローニドアミラー・スモークウィンドウ・・・をオプションでって感じです。色も、ゴールド、ピンク、紫など、つまりはいかに下品にさせるかってのをやってました。
このころちいさいプラモではあきたらず、1/1でやってました。つまりは実車での改造・・・解禁前のドアミラー、フルエアロのシルビア。(こちらは若気のいたりということで聞き流してください・・・ぺこっ)

第3時プラモブームは開業してからいまにいたるまで。
足りないパーツを自作する環境がありますので、とことんこだわって作れます!!お題は「スーパーカー」とくにフェラーリですね。
作ろうとする車種の資料作りからはじまって、ベースのキット探し、足りないパーツの自作。それから組み立て。ただ、時間ないので、一台作るのに半年くらいかかりますね。


写真はフジミのF40コンペをベースにGT選手権仕様に改造(わかる人はわかってくれるはず、、、、)自作箇所:タイヤ・ホイール・エアインテーク・ウイング・ミラー・エンジン内・エアロなど30数箇所。

F40a


f40c


f40d


F40b
このステーだけで、5つのパーツから作りました。
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2006年12月15日 (22:22)

高校同期会打ち合わせ

2006年12月14日 (01:20)

岡山市歯科医師会忘年会

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Dr.山下

Author:Dr.山下
岡山市の歯医者であるDr.山下のプライペートブログです。日々のいろいろな思いや出来事を書いています。歯の話よりもずっと面白いと評判のブログです^^; 楽しい話題やお役立ち情報も満載です。

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